2018

誕生日が12月の半ばなので、加齢による気持ちの変化と新年への意気込みはほぼ同じタイミングでやってくる。また新しい一年が始まりました。

元旦、おみくじを引いてみたら「吉」と出た。30歳にちなんでか三十番でキリがいい。吉だし基本的には良いはずなのでオッケーオッケー。どれどれ、なんて書いてあるかな?

表面は派手で華やかだが、内実は貧しく空虚(から)という運勢である。

いきなり核心を突かれて肝を冷やした。それは誰も同じなのかも知れないけれど、昔から”自分”というものがあまりなかったように思っていた。友達にそれを伝えても「そんなことはない」と一蹴されるのだけど。憧れる人、憧れる友達、いろいろな人の良い部分を少しずつ真似したりしながら自分というものが出来上がっていく。自分の考え方や行動、発言には誰かからの影響が含まれていて、完全なオリジナルの自分はどこにあるのだろうと思って辿り着いたひとつが自転車だったりする。

なんて書いてみたけど、そのおみくじの言葉が示しているのはまたちょっと違う話だと思うんだけど。話を到達させると面倒なので割愛する。(えっ?)

此のみくじに逢う人は、奢りを慎み質素を旨とすべし 華美を好む色に耽る者は散在して身を果たす。

本当に容赦なくぶっこんでくるおみくじだ。ちょうど経験と少しの実績ができてくる年齢で、少し自信が出てくるところ。やっぱりドヤりたい場面は少しずつ増えてきているわけで、でもそこでドヤってはいけませんよというお告げ。はい。女の子ばかり追いかけていたらお金も無くすし自分にとってもよくないですよ、と。はい。

おみくじなんて誰にでも当てはまるようなことを書いているものだとわかっていても、自分が常に罪悪感を感じているようなちょっとした気の緩みをこうもグサリと刺してくるので元旦からかなりのプレッシャーを感じたのであった。

殊に若い人には色情難、離別、住居不安等の苦労があるから、常に柔和を第一に心掛けるべきだ。独立して事をなすよりも、善き友を得て協力してするが吉。

この部分で更に自分の生きてきた部分と重ねて見えてしまった。僕が店を完全に一人でやらないのもそうであり、SAUCE DEVELOPMENTのようなチームにこだわるのも、自分が一人では多分失敗してしまうだろうという本能のような部分。誰かが苦手なところを僕が補えるなら助けたら良い、そして自分がダメなところは助けてもらったらいい。そのスタンスが人間社会を安定させる一番のシステムなように思う。

大体に移り気で気迷い多く、一事に熱中するかと思うと又他に気がそれて持久力に欠けている。目上の賢者の指導に従い、従順にするが吉。

最後の一文に僕の頭を悩ましている今の悩みを直撃してくるような示しを出してきた。

20代は、社会の中に足を踏み入れた時だった。人生に攻略本はなかった。大学へ進学したわけでもなく、道を踏み外せばゲームオーバーになってしまうような生活の中で、ただ自分の野心だけでとにかく突き進んだ。歳を重ねるほどに世界はどんどん広がっていき、10代の自分がいかに狭い世界で生きていたのかを知る。広がっていく世界(人間関係、考え方、趣味、歴史や文化、社会の仕組み等)に好奇心は刺激された。その反面、自分という小さな要素では社会(日本)に対して干渉することが難しいという現実にも落胆した。

それでも多くを知ることは自分の糧になると思って興味が湧いたところにはアプローチをかけて、調べてみたり聞いてみたり、あるいは人に提案してみたりと色々したのかなと思う。簡潔に表すのであれば、自分の成長に費やした10年間だっとも言える。

そしてこれからのことを考えていた。

「移り気が多い」と表現されても納得できる程度には”得たい”という欲求がある。それは知識であったり富や名声、表現はいろいろだ。凄く簡単に表現をしていくと「お寿司も食べたいし、焼き肉も食べたい」という感じ。美味しさを知っていればどちらも食べたいと思うし、もし知らなければ味を知りたいとも思う。

本題はここからだ。

「お寿司もお肉も食べたいが、食べれる量には限りがある」という現実が30歳になった僕の目の前に突き付けられている。例として食事を挙げたのだが、無限にある可能性の中で何かを諦め、選んでいかなければいけないのだと突き付けられている。

仕事は今のままでいいのか、あるいは他になにかあるのか。同じ日に食事の誘いがあった時、昔なら両方の予定を混ぜてしまう暴挙もとったが、普通に考えればどちらかの誘いを断らなければならない。「お寿司もお肉も食べたい」という状況が日々増えていっていることを強く感じている。

今の僕はまだ選択することができていない。人間関係も可能な限り多く保ちたいと考えてしまうし、特定の人物ともっと深い関係になりたいと望むこともある。多くの人は多分、手に救った水が自然と零れていってしまうことを無意識で理解している。知らんけど。僕はまだその零れていく水が惜しくて何度も救い上げようとしてしまう。

無数にある可能性の中から、自分で何を選択して、何を切り捨てるべきなのか。それが恐らく30代の課題。まだ知らないそのすべを”目上の賢者”から学んでいきたいと切に願う。

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