自転車という共通言語

「マジックを見せてくれ」とコガネイロの目をした異邦人は僕に言った。

それはペダルのベアリングの調整だったが、締め過ぎれば回転は渋くなり、逆に緩過ぎればガタが出てしまう。シールドベアリングも全知全能と呼べる訳ではないので、玉押し調整に感覚を要求される構造は未だに多く残っている。

彼はまず自分でトライしてみたが締め過ぎてしまった。僕は「代わって」と言いペダルのベアリングの調整をする。歴が浅い人ほどスルスルと軽い回転の調整を好むが、数万キロを走るサイクリストはそれではダメなことを知っている。ゴリゴリしてはダメなのだが、ゴリゴリのゴの部分の1/3程度の所で止め、スカスカより少しキツめの調整が最も長期的に安定しているように思う。

彼も地球を横断する数万キロを走るサイクリストであり、同じ感覚を持っていた。回転の軽い(緩すぎる)調整だとすぐにガタが出る。だから少し硬めの方が良いと言った。

同じ感覚を持っている人間に逢えると少し嬉しい。それがまた言葉も全て通じているわけではない相手だから尚更面白い。僕は2度か3度感触を確かめながらベアリングの玉押しを締めて、彼に渡す。彼は喜びと驚きを半々にした表情をしながら、ガタの無くなったペダルをバイクに取り付けた。

もう片方のペダルの調整をする時に彼は「マジックを見せてくれ」と僕に手渡した。その調整という作業は、全くの無知の人から見れば何が起こってるのかもわからず、すごいのかすごくないのか、難しいのか簡単なのかもわからない。だが彼はそれが簡単ではない(しかし経験を積めば誰もができる可能性はある)ことを理解していて、僕の技術を”マジック”と呼んだ。

2人で作業を分担しながら彼のバイクの整備をした。難しいところは僕が、自分でできる部分は彼が。やり方を教えたりしながら、数時間後には消耗部品のほとんどの交換を終えた。利益に繋がる内容ではなかったが、僕はその異邦人のバイクへの愛情には共感する部分もたくさんあり、楽しんでいる姿は応援したくなった。そして出来上がったバイクに彼はとても喜び、また旅立っていった。

経験を積み、技術も身に付いてくれば難しかったことも簡単(に見えるよう)にこなせるようになる。その難しさを知らぬ人たちの方が多い世の中でさらりと終わらせてしまうことは評価に繋がらない。その寂しさを日々感じながら働いているが、時折現れる彼のように”評価してくれる人たち”は僕の胸を熱くしてくれる。

「マジック」と評価してくれた彼に、「僕はブラックジャックみたいになりたいんだ」と憧れを語った。