ロードレースというマイナースポーツ

先日、大阪の堺で開催されたツアーオブジャパンを観戦しに行った。それは海外からも選手が来て競う国際的なレースで、日本では数少ない大きなイベントの1つ。

そのタイムスケジュールの中で僕も走ったことのある実業団レースが同時に行われるのだが、僕は国際レースよりもむしろそっちの方が見たくて仕方がなかった。大体の人はレベルの高い国際レースを見たがるかも知れないが、僕は自分に近い存在の人たちが必死にせめぎ合うE1レースの方が心境的にもそこにあるドラマにもどっぷりと浸かりやすい。

プロだとどうしても雲の上の存在だと感じてしまう。プロではない実業団の彼らは普段、会社なりで仕事をしていたり、学校へと通って日常を過ごしている。その限られた時間の中で練習時間を捻出し、週末はレースへと挑むことの大変さをよく知っているからだ。

今回、彼らのレース内容について書き始めていたものの、徐々に話の内容が大きくなってきてしまったのでガッツリカット。今回は自転車競技の価値についてちょっと書こうと思う。

マイナージャンルはどこの世界も同じ

白州の森バイクロア内で開催された岩登りイベントに参加した。ボルダリングや岩登りの説明を受けている時のひとことが随分と心に響いた。「(危ないので)無理をする必要はありません。頑張って登ったところで褒めてもらえるようなことでもないので、怪我はないようにトライしてください。」

ただの注意喚起のコメントだったが、少しピリっと滲みる感情があった。多分、この人ももしかしたら同じようなことを言われたことがあったのかもしれないと。

僕がロードレースという競技に打ち込んでいる状況で、僕がレースをしていることに対して「自転車屋店員としてレースが速くてもオマケでしかない」、「レースで活躍しようが、しまいがどうでもいい」というような事は複数の人から言われたことがある。確かに、自転車を乗ることが上手かったり速かったりすることに社会的な利点があるだろうかと考えてみても、世間からしてみれば大した意味のないことだと痛感させられる部分だ。

それはスポーツ全般にも言えることで、サッカーや野球、バスケを極めた人たちはプロのスポーツ選手になる。マラソンでもテニスでもどんなスポーツでもいい。彼らはただそれらのスポーツに精通する人生を送ってきたわけだが、彼ら自身はそれらを通して周囲から必要とされるだけの何かがあるのだろうか。

自転車競技はそれをやったことのない人たちからの評価を得難いスポーツだと強く感じる。時間も長い上に、観戦もしにくく、競技の内容や展開も難しい。スポーツをしていく上で意識していかなければいけない、いけなくなることは「魅せる」ということ。例えばマラソンであれば、大抵の人が走ることの辛さを知っているし、そして誰がどうやって勝ったのか分かりやすいから大衆でも受け入れられやすいのだと思う。

誰かの呟きで「利益にならないことは意味がない」という考え方がスタンダードな世の中になってきているというようなことを見た。確かにその流れがある。若い世代になるほど顕著だろう。しかしながら価値の話になると、人間が生きていることの価値とは何なのか、そういう話に終着するように思う。「生」そのものに意味などないだろう。生きている中で人々が幸せや楽しみを味わうことができさえすればそれが正解だろうと思う。

野球、サッカーなど、スポーツという娯楽がプロスポーツとして社会に認められ、そこに価値が生まれていること。スポーツにはやり甲斐、達成感、充実感などを通して幸せや楽しみを味わうことができることが実証されている。人生を楽しむためのコンテンツとして、スポーツはとてもいいものだ。しかしながら、スポーツなんてする余裕も見る余裕もないよという人も沢山いる。所詮は娯楽、最低限の生活が成り立っていなければ娯楽を楽しむ余裕はない。

余裕が無い、興味がない。そういった人たちにどうアプローチできるか。それが各マイナースポーツが抱えている課題だろう。

価値は自分たちで生み出していかなければいけない

いやいや、どうやって。と思うかもしれない。僕自身もメーカーなどからサポートを受ける時に、どれだけの対価を生み出すことができるのだろうかと疑問に思った。売り上げという目に見えた価値を提供することができればいいのだが、それはただの1人の販売員になることに等しい。アスリートの価値はセールスマンではなく、その優れた競技力が1番の長所だというのに。

スポーツが認められている根源的な価値とはなんだろうか。ふと「シャカリキ」を思い出した。僕が自転車競技に飛び込んだ原点。その中で度々繰り返されるシーンがある。

「無理かもしれへんなあ」

それは主人公本人も思っている場合もあるし、周りの人たちの方が特にそう思っているように思う(でも主人公は不安ながらもできると思っている節がある)。そんなことできっこない、できたところで意味もない。正しく自転車競技に打ち込むことのメリット/デメリット論のそれである。自転車のプロとして生活するにはヨーロッパで走るプロになる必要があるが、それは不可能に近いと考えてしまう人がほとんどだろう。

スポーツというものを認めてもらうには、その競技の難しさを知ってもらう必要があり、それを知っているからこそプロ選手の凄さが理解でき、評価となる。簡単な話、見ている人が楽しい気持ちになったり、応援したいと思ってもらえたらそこから価値が生まれはじめる。

関心を持ってもらえれば理解も進み始め、自然と競技者としての価値は上がっていくのだろうと思う。だから、競技者を志す人たちは身近な人たちから少しずつでいいので競技の面白さを伝えていくことが自分の将来に繋がるのではないだろうか。それまで無かった文化を形成していくには、そういった草の根的な活動をしていくことが王道だと思う。

関心を持ってもらえた時、その人たちが持っている「無理でしょ」という気持ちを覆して達成できれば大きな衝撃を与えることができ、評価に繋がるだろう。

身近な人に面白さを伝えること。

無理でしょと思われている事をやりのけてしまうこと。

競技者として頑張りたいのであれば、その2つを常に意識しておくことを個人的にオススメしておきたい。

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