中学生編
中学に入学した際に、明確な何かがあったわけではないが「運動部に入らねばならない」という漠然とした意志があって、父親からも「何か運動してみたら?」という一言もあり、その意思は確立された。それまでしっかりとしたスポーツ競技はしたことがなかったので不安は大きかったが、それは乗り越えなければいけないものだとして運動部へ入る意思は固かった。
小学校で授業レベルのバスケットやサッカーをしてきた中で、手を使うことは得意ではなかったことからバスケと野球は無理だろう、当時テニスの王子様で人気爆発していたテニスもあまり興味はそそられず、消去法で「サッカー」が残ったのだった。父親は野球をやってきた人だったが、サッカーも好きでたまに試合を見たりテレビゲームもやっていたので馴染みはあった。手よりも足のスポーツの方が自分の運動スキルの低さをカバーしやすいのではないか、など甘い考えもあった。
1年
当然、小学校からバリバリやってきた同年代とは天と地ほどの差があり、1学年上の先輩とも体格差も含めて雲の上の存在に見えた。体力も技術もないので、練習終わりの試合には参加する機会は少なく、試合中はリフティングをするなど指示され個人練習に費やしたが、あまり成長は実感できなかった。同世代で未経験者は入部から1か月以内にほとんどが辞めていった。残ったのは僕ともう一人で、残りの10数名は経験者のみとなった。
その時点で、小学校からの経験者との差は一生埋まらないものだと感じた。できることは何だろうとなった時に、練習に真面目に取り組むことだけだった。最初はビリだった学校外周(ランニング)も、徐々に順位を上げていった。ランの体力だけなら不真面目な先輩よりは走れる程度には体力はついていったが、真面目な先輩(キャプテンなど)は地道なトレーニングでも真剣で追いつくことは困難だった。
采配
1年生同士の対外試合が行われた時に、僕らの世代は人数がギリギリだった。たまに自分も出番を与えられた。しかし、中学1年、未経験。そんな自分にチームの生命線であるディフェンスを任せられるはずもなく、攻撃の起点となる中盤に配置されることもなかった。消去法でミスっても失点のないフォワードに配置されることが常だった。身長も低いし、足も遅い。ボールコントロールも厳しく、正直なところゴールを決めた記憶も残っていない。
2年
サッカー部の頑張りが印象強かったようで、学校からの斡旋で”サッカーの采配に強い”教師が新しく学校にやってきた。当然、サッカー部の顧問として新しく迎え入れられた。真っ黒に日焼けしたクッキングパパのような風貌の数学教師の彼が僕に采配の大切を強く印象付けてくれた人の一人である。
彼の改革
2年、僕らが中核を担う世代となっていった。といっても僕自身は中核を担うほどのものは全くないが(笑)
先生は一つ一つのセットプレイ(フリーキックやコーナーキック等)の大切さを練習で反復していったり、「練習でできないことは実戦でもまずできない」ということを理解させていった。更に面白かったのはそれぞれ持っていたポジションを配置換えしていったことだった。
中盤~フォワードをしていたS君がセンターバックにコンバートされた。それほど大柄ではなく、もともとパワフルな選手ではないが、猫のような柔軟さと機敏さを持っていた彼は視野と嗅覚が優れていたのだと思う。「ラインディフェンス」の名手となった。(最終的にゴールキーパーに抜擢されている)
試合の際に相手のミッドフィルダーから繰り出されるロングやミドルパスを察知した際に、彼の合図を受けてディフェンスラインを押し上げる。すると相手のフォワードは取り残され、「オフサイド」となりボールはこちらのものとなる。彼は試合中10回以上のオフサイドを量産していたように思う。ありえないと思ったが、面白いほど決まった。
その時に自分がどこにいたのかというと、一緒にディフェンスに居た。先生のコンバートである。当時僕も背が低く、学年でも前から数人目という小ささで「ディフェンスなんてできっこない」と思っていたが、先生からはストッパーに入れというコンバートだった。4バックのうちの1人。ダイヤモンドの上側、ボランチのあたり。
当然難しいことはこなせいないことはわかっていたので、与えられた仕事はひとつだった。「相手のフォワードをマンマークしろ」というもの。得点ゲッターはやはり上手い選手が多く、ディフェンスが1対1では分が悪い。少しで良いから邪魔をすること、その間に他のディフェンスがカバーに入ることができる。僕はとにかく必死で食らいついて、相手にパスを出させない、出しにくいようにマークに努めた。体力だけは並みのレベルになっていたので、しつこく食らいつくことは難しくなかった。
僕が相手の動きをもたつかせている瞬間に、同じくセンターバックにいたラインディフェンスの名手がフォローに入り、ボールをかっさらっていく。ロングパスが出そうな時は、フォワードのマークを外し、一緒にラインを押し上げオフサイドを取る。まさに”頭”でサッカーをしているという体感だった。
ゲームで言えば明らかにパラメーターがほぼほぼFで、体力だけがDかCかという程度の人間をこんなにも上手く使ってくれる人がいるのかと感動した。自分でもチームの役に立っている、とサッカーが楽しくなっていった瞬間だった。
その数か月後に引っ越しで自分は学校を転校しなければならなくなったのだが、その先生に采配されていた半年間の密度は今も記憶に強く刻まれている。人生においての半年という短い期間がこれほどまでに濃密だったことは他に記憶にない。転校の際、先生は親にも買ってもらったことのないちょっと良いスパイクのシューズを与えてくれて、それは成長期の自分はすぐ履けなくなってしまったけれど、今もまだ捨てれずにいる。
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