Chrisking

CHRISKINGという自転車の部品メーカーがある。主に価格の高価さが理由だと思うが、憧れのメーカーという位置にある。

僕が生まれる以前からあるそのメーカーは、自転車のハンドリングを司る重要な部分がとても簡単に壊れて頻繁に交換が必要であることに不満を覚えていたことが始まりだった。そこから”壊れにくい”ヘッドパーツの製作に成功し、今も当時から変わらない思想でパーツの製作は継続されている。

“壊れにくい”ことに対してどれだけの価値があるのか、人によってそれぞれである。大量生産、大量消費の21世紀の人類は「壊れたら捨てればよい、また新しいのを買えばよい」と考える人が多いだろう。どちらかというと自分もそういった思考であったが、CHRISKINGを通して少しだけ学んだことがある。

彼は大量に作ったり、大量に捨てたり、たくさんのモノを売るということはそれだけでゴミを多く排出するということを気にしている。リサイクル技術が進んでいるといっても、輸送燃料なども当然発生しているわけで、僕のような小市民ではそれによって発生している環境負荷の大小はわからないが、ある程度想像することくらいなら難しくない。

“壊れにくい”ものが手に入ると人はどうなるかというと、当然新しいものに買い替えるまでのスパンは長くなっていく。今の時代、キャッシュフローを重視しなければ企業として厳しいものがあり、ある程度壊れやすい方が買い替えが起こって会社としては経営しやすいものがあるように思う。

そんな中で”壊れにくい”ものを作りつづけるCHRISKINGというメーカーは、一般企業でありながら営利よりも環境であったりユーザーの喜びや安心といったところをまず大事にしているということが強く伝わってくる。信念を第一において経営をすることの難しさは仕事をしている人なら誰でも理解できるのではないだろうか。

ふと最近「運命共同体」という言葉が頭の片隅にあったりする。例えば家族を思い浮かべる人も多いだろうが、僕は一緒に働いている人もそうだと感じるし、古くを考えれば村という存在や近隣の住人、あるいはもっと広く考えていくと地球上に住む皆が運命を共にしている存在とも思える。身内と他人の線引きがどんどん狭くなっているなかで、僕らは人と人との繋がりは切り離せないという世界で生きていることをもう少し意識してみてもいいのかもしれない。